3月16日(木)校長だより41号

いつもはHPの「学校からのお知らせ」に掲載していますが、今回はこちらでお届けします。

【冷たい雨 寒の戻り】

 3月に入り暖かい日が続いていましたが、13日は朝から冷たい雨でした。一時的に寒の戻りの陽気でした。でも、靖国神社の桜は4輪ほど花が開いたとの報道があり、「ソメイヨシノ」の開花宣言は秒読みで、統計上最も早いそうです。

 さて、13日、昼過ぎに野球部が甲子園に向けて出発しました。土曜日の朝の放送でもお伝えしましたが、センバツ大会は全校をあげて応援しましょう。

 以下、放送の一部です。

昨年まで、大会応援は、新型コロナウイルス感染症のため、人数制限や応援方法等が規制されていましたが、今回はコロナの影響もかなり減り、応援の方法がずい分と緩和されています。

そこで、今回の応援は全校を挙げて応援に臨みたいと思います。

昨年秋の神宮球場での準決勝・決勝でも全校応援としたことで初めて球場に足を運んだ人も少なくなく、スタンドで応援できたことに感動したとの声が多く寄せられました。あの感動を今度は高校野球の聖地ともされる甲子園で味わってください。

大会当日は、当初の年間行事予定では、1年生、2年生とも行事が計画されていましたが、野球応援のために日程を変更することにします。授業出席を心配することなく応援できる環境を整えました。アルプススタンドを学校のチームカラーでもある緑で埋め尽くし、精一杯の応援でグランドの選手たち

を後押ししていきましょう。皆さんと甲子園で校歌を歌えることを楽しみにしています。

 対戦相手は、甲子園常連でセンバツ優勝経験もある広島県代表の広陵高校です。応援よろしく。

ダンス部&ギター部 卒業公演開催】

 2月末にダンス部1・2年生が大会(マイナビHIGH SCHOOL DANCE COMPETITION)の結果報告に校長室を訪問してくれました。全国大会への切符を手にすることができ、喜色満面です。副賞はカップ麺。食べ盛りの皆さんにはいいかも?

 また、3月に入り、卒業生で前部長の根津さんと顧問の松澤先生がダンス部の成果発表の案内に来てくれました。3月21日(火)17時から日経ホールにて、「ダンス部 9期生卒業公演」が開催されます。ダンス部のオリジナルグッズ『BUTTERFLY EFFECT』のタオルをプレゼントされて、大満足です。

 ギター部は3月26日(日)13時から中洲記念講堂で、「Super Live 第5回卒業公演」の開催予定になっています。

 両部とも日頃の成果を圧巻のパフォーマンスと演奏で魅了してくれることでしょう。ご家族や友達にも声をかけて足を運んでみてはいかが。もちろん新1年生の皆さんもどうぞ参加してください!

12月8日(木)『校長だより』第30号

【九段二丁目 餅フェス】
師走に入り、2022年も残すところあとひと月となりました。気温も低くなり、今日は真冬並みの寒さです。 2学期の期末試験が先週から始まりました。日頃の学習の成果をしっかりと発揮し、成果を確認してほしいと思います。

さて、12月に入って最初の日曜の4日、本校地元九段において、九段二丁目町会が主催する『餅 フェス 2022 IN KUDAN』が開催されました。前回、紹介した学校評価委員会にも参加いただいた九段町会の小野里町会長からご案内があり、お昼前から参加してきました。

コロナウイルスが猛威を振るうようになって3回目の冬を迎えますが、このイベントは感染対策を行い、継続して実施されてきたようです。9月には、築土神社の祭礼として、久しぶりに神輿が繰り出し、山車巡行が実施されるなど徐々に正常化に向けて取組を進めているとのこと。神輿渡御は、コロナ以前は本校野球部が担ぎ手となって大盛り上がりだったようで、早くかつての賑わいを取り戻したいと町会長が話されていました。  餅フェスには千代田区長、麹町消防署などの担当者も参加され、今後も二松学舎高校と連携して、様々な取組を進めていきましょうとお約束をしてきました。

【エスカレーター、あなたはどうしていますか?】
学校の帰り道、九段下駅に向かうと地下鉄方面から多くの人が坂を上ってきます。夕刻から武道館でイベントがあるようで、九段下駅の出入り口はごったがえしていました。階段は上る人と下る人がそれぞれ一列ずつでしたが、上りしかないエスカレーターは片側一列、その為、エスカレーターの中間地点や一番下の乗り場は、片側に並ぶ人で長い列になっていました。

もうずいぶん前からエレベーターは一列なのか? それとも二列なのかが指摘されてきたと思います。東京は右空け、大阪は左空け、ではその境目の地域は?など、話題はつきません。片方を空けるのは、歩く人の為に空けておくのだとか。

先日、博多(だったかな)で、二列での利用をすすめる人たちの報告によると、二列で利用することには“怖さ”もあると紹介していました。実際トラブルも発生しています。2022年1月、JR秋葉原駅の下りエスカレーターで80代の男性は、エスカレーターの真ん中に立ち止まって下りていたところ、その後ろから、エスカレーターを下りてきた男が、追い抜きざまに「邪魔だよ」と発言。これに対し、被害男性は「エスカレーターは歩くものではない」と注意したところ、腹を立てた男は、エスカレーターを下りるなり、男性を蹴ったり、投げ飛ばしたりするなどの暴行を加え、現場から逃げ去ったという(今月2日、警視庁は、目撃者が撮影した動画や、防犯カメラの映像を解析するなどして男を特定)。暴力はもってのほかですね。

鉄道各社は、エスカレーターでの事故が相次いでいることなどを受け、ステップの上では立ち止まることを呼びかけています。九段下駅のポスターには「立ち止まって」、「右側の手すりを必要としている方にご配慮」などと示されています。

埼玉県では、エスカレーターの利用者に、立ち止まって乗ることを求める条例が施行されたといいます。条例に罰則規定はなく、一番の目的は、利用者の安全意識を高めることとのこと。

私も左側の列に並ぶようにしていますが、立ち止まる人の横をつい歩いてしまうことも・・・ あなたは? 一度立ち止まって考えてみることにしましょう。

11月15日(火)『校長だより』第28号

【二松生で埋まる一塁側スタンド ~野球部 秋季東京都大会~】  

12日(土)、13(日)、秋季東京都高等学校野球大会の準決勝・決勝に駒を進めた野球部を「全校応援」で盛り上げようと神宮球場に全校生徒が集結しました。

両日とも神宮球場一塁側スタンドでは、吹奏楽部が演奏する中、チアリーディング部と応援同好会、さらに野球部が応援をリードし、参加した生徒はメガホン片手にグラウンドでプレーする選手を鼓舞し応援しました。

二松に入学後、初めて、球場に足を運んだ人もいたことと思います。12日の準決勝後に中3生向け学校説明会で応援の感想を話してくれた1年生は、「野球部のプレーはもとより、吹奏楽部やチア部、応援同好会の三部の応援を生で見られ、クラスメートの活動の一端を知ることができました。」と語ってくれました。コロナ禍の影響もあり、日頃、他の部活動の様子を見る機会がなかったことから、今回の野球応援は初めて参加してくれた生徒の皆さんには新鮮に映ったことでしょう。野球部前主将3年生の小林君からは何度も「全校応援にしていただき、ありがとうございます。とても嬉しく感じています。」と感謝の言葉がありました。

準決勝戦では勝利の後、校歌が流され、学校への帰属意識を高め、二松生としての誇りを強く感じてくれたことと思います。全校生徒が同じ目的に向かって一丸となれたことは、とても嬉しいことです。参加してくれた生徒の皆さんの心に残る行事となったことが何よりです。さらに保護者の皆様の応援、野球部OBの鈴木誠也さんも駆けつけていただいたようで、オール二松学舎で過ごせた時間に感謝です。本当にありがたいことですね。 

試合は、準決勝の帝京高校には勝利しましたが、決勝戦では残念ながら東海大学菅生高校に敗れ、準優勝となりました。野球部の活躍は我々に感動とパワーを与えてくれました。 今回の結果等を踏まえ、甲子園での春の選抜高校野球大会への出場は、来年1月下旬の選考会議で決定されるそうですが、これまでの実績等を評価してくれることを祈るばかりです。選考される、されないに関わらず、春までは時間があります。体力や技術を鍛え、次の戦いに向けてまた準備を進めていくのみです。野球部には更なる挑戦を期待しています。

11月10日(木)その2-『校長だより』第27号ー

【「小春日和」って、いつ頃の季節でしょう?】
3時間目、吹き抜けの中庭から空を見上げると真っ青な空が広がっていました。気温も上昇し、暖かな空気に包まれます。今日は「小春日和の一日!」 あれっ、春でもないのに、この「小春日和」とは、一体いつの季節?

「小春日和」について尋ねた「国語に関する世論調査」の結果は以下の通りです。

(ア)初冬の頃の、穏やかで暖かな天気・・・・・・・ 51.7%
(イ)春先の頃の、穏やかで暖かな天気・・・・・・・ 41.7%

本来の意味とされる「初冬の頃」の(ア)と答えた人が5割強であったのに対し、(イ)の「春先の頃」と答えた人が4割強だそう。また、年代別に見ると、10代の若い年代では、70%近くの人が(イ)の方を選択しているという。若い年代を中心に、「小春日和」の本来の意味が理解されにくくなっていることがうかがえます。

ネットを検索すると、こんな解説もありました。 接頭語として名詞の上に付いている「小」は「小石」「小雨」などのように、物事の量や程度の小ささを表す使い方があり、「小春」はそういった用法の周縁にあるものと言えるでしょう。似た表現に「小江戸」があります。埼玉県川越市や千葉県香取市などが小江戸と呼ばれますが、もちろん、それらの土地は「江戸」そのものではなく、「江戸のように栄えた町」といった意味でそう言われています。「小春」という語だけを見れば「春そのものではないけれども春のような気候」と読み取れるでしょう。ちなみに、初冬の頃の境目となるのが暦の「立冬」。これ以前は「秋晴れ」、過ぎると「小春日和」と呼ぶようです。

いよいよ冬の到来を迎えることになりますね。毎朝、布団からでるのが少し辛い季節になってきました。学校生活は11月に入り衣替えとなり、男子は詰襟の学ランを着ての登校、女生徒はマフラー着用の姿もチラホラみられます。  

【挨拶は互いに幸せな気分に】
ご覧のとおり、“おはようカウンター“ (私が勝手に名付けたものですが)の数値が574を数えました。毎朝、どのくらいの生徒と挨拶を交わしているのだろうと思っていましたが、実際に10中旬頃から数え始めたところ、300カウント(42%)前後で推移していました。全校生徒数が700名ですから半数弱といったところ、何とかもう少し多くの皆さんの顔を見たいと思っていたのですが…。

朝、私のルーチンは、出勤後、6階から順に教室を見て回り、早くから登校している生徒と挨拶を交わします。各教室には2~3人の生徒が単語帳や授業プリントで予習・自習に取り組んでいます。その後、7:50から8:05頃までが先生方との打ち合わせタイム。それが終わってから8:15分頃まで玄関前で登校してくる皆さんと挨拶をするのを日課としています。この教室巡回と玄関前の時間がカウント時間となります。

今日(11月8日)は職員打合せも短く、早めに玄関前に立ったところ、ご覧のように574カウント(82%)になりました。全生徒とまではいきませんが、かなりの皆さんに朝の声掛けができました。毎回これ位の数の生徒と挨拶できると嬉しいのですが… 私の前を通る皆さんの中には、大きな声で挨拶をしてくれる男子生徒のグループ、私の挨拶に返してくれる人達、目配せで答えてくれる人、こくりと首を垂れる人、マスクで表情が見られないのですが、きっと「おはようございます」と言ってくれているのでしょう。ダッシュでそれどころではないという人もいますが。この時間で一日の元気をもらうようにしています。  本校前を通る一般の方々にも声を掛けるようにしています。

3割くらいの方が挨拶を返してくれます。段々と増えるかなと思いつつ、朝のひとときですが、お互いに気持ちの良い気分になれるものです。

11月3日(木)『校長だより』第26号

「たび 旅 多比」

人が旅に出る目的な何でしょう。「楽しければよい」?でもそれだけでしょうか。4日間の旅を終え、自宅に帰った時の印象はいかがでしたか、ちょっと雰囲気が変わったことを感じませんでしたか。普通に考えれば何も変わっていないはず。しかし、どこか新鮮さを感じた方もいたことでしょう。旅行前に万葉集の話を紹介しました。「旅」は「多比」と表記されていると。万葉仮名ですから漢字の音をそのまま使っているのですが、何となく旅の意味を感じさせる表記だと思いませんか。日々、我々は日常に埋没しています。同じことの繰り返し、でも旅に出ると新鮮な目で様々なことを見て、聞いて、感じて比べ、日々の生活に戻ったのに以前に比べて新しさを感じるのかもしれません。日常は変わらないけれど、我々自身の見方が変わったからに他ならないのでしょう。

さて、私も久しぶりに修学旅行に同行しました。折々の感想を紹介しましょう。

【待ちに待った修学旅行 さぁ出発】
早朝から羽田空港は修学旅行生で混雑していました。コロナが少し減少したからか、多くの学校が修学旅行を再開したようでした。しかし、十分な感染対策を踏まえた旅行になることは仕方ありません。横川先生からも「普通の修学旅行ではない。申し訳ないけど、様々な制限下で行動を自粛してほしい」と出発前から話がありました。

【平和学習】
初日、沖縄戦の語り部さんの体験談は実に生々しい内容でした。米軍の沖縄本島上陸に際し、島北部の山中に逃げ込んだと言う様子が語られました。子供心に生死をかけた逃避行は、恐怖以外の何ものでもなかったことでしょう。しかし、当時6歳で現在89歳と言う年齢を考えれば、実際の戦争がいかに悲惨であったかを語れる人はとても少なくなっているということも認識せざるをえません。

2日目は、戦争の悲惨さを学ぶために沖縄平和祈念資料館や旧海軍司令部壕などを訪れました。あまりにもショッキングな映像等を見て、その場で絶句し涙する姿がありました。資料館の展示ブースの結びの言葉に以下のメッセージが残されていました。 「沖縄戦の実相にふれるたびに戦争と言うものは、これほど残忍でこれほど汚辱にまみれたものはない。この生々しい体験の前では、いかなる人でも戦争を肯定し美化する事はできないはず。戦争を起こすのは確かに人間です。しかし、戦争を許さない努力が出来るのも私たち人間ではないでしょうか」と。改めて我々戦争を知らない世代がいかにそれを後世に伝えていくかということが求められるということを痛感しました。

歴史の教員として、歴史を学ぶ意味は「未来を生きるために過去を学ぶのだと」ということを伝えてきました。でも、人間は何度も同じ過ちを繰り返すのです。宿泊先のホテルで地元新聞に目をやると、沖縄(石垣島)の珊瑚礁が死滅とのニュースが紹介されていました。地球温暖化による海水温度の上昇、つまり環境破壊が深刻化しているようです。人間がもたらす様々な被害は我々一人一人が意識することが大切とのメッセージに他なりません。戦争同様、考えさせられました。

【歴史】
首里城では3年前の火災から一部区域を除き、公開がされています。復興が進み2026年には再び首里城正殿が復元されるそうです。一緒に首里城を見学した神戸先生から、3年前の本校の修学旅行は、まさに火災当日に沖縄に滞在していたとのこと。翌日、急遽コース変更を余儀なくされたという苦労話を聞きました。

バスガイドさんから首里城が焼け落ちたことで世界文化遺産の登録が抹消されるのではないかとの不安を沖縄県民も持ったそうです。しかし、首里城が世界遺産とされているのは、建物の基礎となる部分(基壇)の遺構が15世紀以降、首里城正殿が度々建て替えられていたことを証明し、過去から現代に引き継がれてきたかけがえのない宝物として評価されているからだそうです。焼失前もアクリル板越しに地下部分の基壇が見学できるようになっており、再建後も再び見られるようにするそうです。よく考えれば、守礼の門や首里城も戦争で空襲に合い、戦後に再建されているのだから、建築物が文化遺産ということはないですね。

【体験】
旅行3日目は、①伊江島サイクリング&今帰仁城コース、②カヌー&トレッキングコース、そして③マリンスポーツ&(クラフト・釣り・シーサー作り)分かれて体験学習を行いました。  

伊江島コースはフェリーに搭乗するため、朝早くホテルを出発、島内のサイクリングがメニューです。カヌーコースはマングローブの中を進むワイルド体験のようです。ザンパビーチでのマリンコースは、水着に着替えての体験です。それぞれ沖縄の自然を充分満喫する体験になったことと思います。

気温は28度で日差しが強く、マリンコースでは、シーカヤック、シュノーケリング、ドラゴンボートなど、ライフジャケットを身に付けてコバルトブルーの海を堪能、大きな歓声が聞こえてきました。 私はグラスボートに乗って、海底のサンゴと熱帯魚の鑑賞。イソギンチャクを住処にするニモの姿を見つけました。午後に乗船した小門先生は、ウミガメを見られたと大喜びで映像を見せてくれました。

午後は、作品制作等のコースを巡回。シーサーの制作は、一人ひとり違った個性的な表情のシーサーを作成していました。12月頃に乾燥させた置物が手元に届くそうです。楽しみですね。シーキャンドルの制作も凝った作品ばかりでした。釣りは、エビで鯛を釣るというわけにはいかなかったようですが、太公望の気分を味わったようです。

【市内等 見学】
最終日は、班ごとに分かれてタクシー移動で沖縄市内等の見学。座喜味城などの史跡や観光名所を訪れたようです。私は先生方と国際通りの市場で“ソーキそば”をいただきました。

【節度ある行動】
旅行中は時間を守ろうとする姿勢が見られました。遅れそうになると小走りで間に合うよう努めていました。地域振興クーポンが急遽配られたために、美ら海水族館では、お土産ショップのレジが大混雑し、ちょっと遅れてしまったのは残念でしたが… 。

食事の際には黙食、部屋での会話もよく我慢していたと思います。私が高校生の時の修学旅行と比べれば雲泥の差です。思い返せば夜中に廊下で正座した記憶があります。あまりほめられた話ではありませんね。コロナの規制の下、多くの人が我慢をして行動していたように思います。拍手。

3年ぶりに実施された修学旅行でしたが、この4日間は皆さんにとって高校時代の素晴らしい最高の思い出となったことでしょう。