10月19日(水)『校長だより』第25号

【模擬面接 特訓中】
中間試験が始まり、学校はちょっとピリッとしたムードに入りました。朝、教室を見て回ると、ノートや参考書を確認している姿があちらこちらで見られます。放課後には、先生を捕まえて質問をする生徒も少なくありません。そして、登校中にも九段坂から学校の玄関前までしっかりと単語帳やプリント等を確認する生徒の姿を何人も見かけます(歩道は工事中で足元が悪いので少し心配です)。日頃の学習の成果を十分に発揮してくれることを願います。

そのような中、3年生は中間試験と並行して推薦入試の面接や小論文対策に臨む者もいます。1階の玄関ホールでは先生方に面接の練習をしてもらっている生徒が日々入れ替わりでいます。志望動機から始まって、高校時代に何をし、何を得たのか。それらを踏まえ今後の学生生活で何をしたいのかをしっかりと相手に伝えることが重要です。

自分の姿をどう伝えたらよいのか。飾らず、誠実に思いを伝えることができたならば、きっと結果はついてくるでしょう。これまで二松学舎で学んできたことを真摯に話そう。さまざまな教科・科目の学びや、部活動や行事を通して培った力、君たちには十分な力が備わっている。自信をもって!

そしてそれらの力は、きっと将来に生きてくるはず。頑張れ二松生。

今日も二松学舎には、教室内、多目的ホール、自習室等で学ぶ生徒たちの姿がある。

【保護者懇親会 3学年開催】
先週の15日(土)に3学年の保護者会が開催されました。現3学年はまさにコロナの直撃を受け、保護者の皆様も学校との距離を取らざるを得ない状況となっていました。このまま3月を迎えてはせっかく子供たちを二松学舎へ入学させたものの保護者としての関りも薄いものになる、保護者同士のコミュニケーションも希薄なまま卒業式では残念との思いから、学年委員さんの発案で保護者会が急遽開催されました。あいにく私は、シンポジウム「論語の学校」で侍ジャパン監督の栗山英樹さんの講演に参加していたため、保護者会はそれぞれ短時間のご挨拶で大変失礼致しました。

懇親会は2クラス合同での開催となったようですが、担任の先生方を囲み、学校での生徒の活躍の様子やご家庭での過ごし方など共有が図られたことと思います。

午後のひと時を学校で子供たちの活躍の姿を想像しながら有意義な情報交換を図っていただけたことでしょう。  返す返すも恨めしいコロナですが、少しずつ感染の規模が縮小してきたようです。このままいけば、11月の球技大会は、府中・武蔵野の森総合スポーツプラザ会場で生徒の「生の活動」の様子を見られるかもしれません。ご期待ください。

10月10日(月)『校長だより』第24号

【いまさら聞けない 二松の歴史】

今日10月10日は、本校の創立記念日。二松学舎だけが休業日となるので、某テーマパーク等に出かける人も多くなるはずでしたが、今年はスポーツの日と重なり、全国的に祝日。

ところで、本校の創立について、ルーツをどれだけ知っていますか?入学する前に学校説明会等で聞いたはずだけど…、なんとなくは知っているけど…、という人もいるかもしれませんね。

そこで、ちょっとおさらいしておきましょう。

まずは、学校創立者の三島中洲先生について。

生まれ:備中(びっちゅう)の国、現在の岡山県倉敷市  経 歴:備中松山藩の儒学者である山田方谷(ほうこく)に学びました。その後、明治政府の要請を受け、大審院(現在の最高裁判所)の判事などを歴任し、大正天皇の待講(教育掛)も努めました。

二松の教育:当時の日本は江戸から明治に移行したばかりでしたが、そうした中 で、外国の考え方や文化を本当の意味で日本に取り入れるために は、まずは自国を知り、東洋の精神に対する理解も深めなければな らないとして漢学を教授しました。

 

建学の精神:校舎の講堂に掲げられた『二松学舎 舎則』には、 「己ヲ修メ、人ヲ治メ、一世ニ有用ナル人物ヲ養成ス」とあり、現代風に解釈すると、「自ら考え行動できる能力を鍛え、社会のために貢献する人物を養成する」という意味となります。  

 

名前の由来:「二本の松」は「学問をする場所」の象徴で、三島先生は「漢学塾二松学舎」の創立当初、自宅を塾舎にしていましたが、当時庭にあった二本の松から「二松学舎」と名付けたと自作の漢文の中に記しています。

今年で創立145周年(1877(明治10)年創立)を迎えますが、日本に数ある大学の中でも屈指の伝統校です。145周年ロゴマークは、リズミカルに未来へ飛躍していくことをイメージし、スクールカラーのグリーンとブルーをフレッシュな色味にし、新しいことへの挑戦心を表現しています。

本校の関係者・卒業生について、少なくともイラストにある人物は、よその人から聞かれてもしっかりと紹介・説明できるようにしましょう。

左から

 渋沢栄一:日本資本主義の父と言われ、近代化に尽力。 本校の3代目舎長(舎長=組織の代表)。

 嘉納治五郎:講道館柔道を創設し、日本のオリンピック参加の 道を開拓 。

 創立者 三島中洲師:校歌にも歌われています。

 平塚らいてう(雷鳥):婦人参政権獲得に奔走し、 雑誌『青鞜(せいとう)』を発行。

 夏目漱石:アンドロイドでもご存じですよね。 『吾輩は猫である』でデビューした明治期の文豪。

イラスト以外にも

 中江兆民:東洋のルソーと呼ばれた思想家。

 犬養 毅:元首相。政党内閣を組織するも5.15事件(1931年)で海軍将校らによって暗殺される。

らが二松学舎で学んでいます。 本校のホームページに「二松学舎創立145周年特設サイト」のバナーを掲示しました。一度覗いてみてください。

10月5日(水)『校長だより』第23号

【〇〇〇の秋!!】
空を見上げると雲一つない青空、10月初めの週末は秋日和の天気が続きました。

初日、秩父にドライブに出かけました。ブドウの季節もそろそろ終盤でしたが、あしがくぼ果樹公園村でブドウ狩りを楽しみました。シャインマスカットとバイオレットキング(まだ市場には出回っていない希少種だそう)を収穫し、満足。

秩父地方では銀杏の葉が黄色く紅葉を始めていました。また、先日、学校の廊下の窓を開けようと外を見ると “とんぼ ”が飛んでいました。都心でも皇居周辺などに残る自然環境からでしょうか秋の気配を感じることができました。

さて、秋は「食欲の秋・読書の秋・芸術の秋・行楽の秋・スポーツの秋」など、古くから多様に表現されてきました。湿気からも解放され、過ごしやすく何をするにも良い気候です。皆さんにとっての秋は、どのような季節でしょうか? 入試、新人戦などの成果も期待しています。  

新型コロナウイルスの感染者が減少してきました。実施できる授業・行事・部活動も増えてきましたが、まだ、100%以前の生活に戻ることはためらわれます。一日も早くコロナが収束し、真に爽やかな秋がもどってくることを切に願っています。

10月は制服の移行期間です。体調にも注意し、皆さんにとって、素敵な秋となりますように。  

【二松祭-家庭科研究部・文芸研究部・茶道部からの贈り物-】 
二松祭終了後、家庭科部と文芸部から活動の成果として、それぞれ部で作成した作品を校長室に届けてくれましたので紹介します。

家庭科部からは、クロスステッチで作成された刺繍の作品。3年生の張替さんと2年生の西方さんが届けてくれました。先生方の動静を確認できる案内表示となるもので、作品の表面は先生方の嗜好品などが表現され、裏面は「家」のデザイン。この「家」の面を机上に示すことで、帰宅を確認できるようにしたものです。

すべての先生方に作成してくれましたが、私のデザインのリクエストは「中華」。そこから連想してラーメンと「チキンラーメンのひよこちゃん」のデザインでした。行列の出きるラーメン店に通うほど好物なのでとっても嬉しい…。

文芸部からは3年生部長の山田さんが来室。部員の皆さんのオリジナル作品集(『翠天鏡華』)を届けてくれました。文芸部では文化祭の時に“探偵さん”と一緒に怪盗?の謎解きに挑戦したのですが、その謎の後日談が語られた小冊子も凝った内容です。作品集は「読書の秋」に読み進めようと思います。

茶道部からいただいた作品も紹介します。 今年もお点前を見ることはできませんでしたが、裏千家のお茶の作法等に関する問題にチャレンジし、いただいた景品です。難問ばかりでしたが、ヤマカンもあり全問正解!! 見事、和菓子をイメージしたキーホルダーをゲットしました。  

各部の皆さん、ありがとうございました。

9月10日(土)『校長だより』第21号

【2学期も順調にスタート】
今年の夏は過去2番目の暑さだったとTVで紹介されていましたが、まだ蒸し暑い日もあるようです。水分を補給するなど熱中症対策にも十分心掛けてください。

さて、2学期が始まり、1週間が経ちました。学校では授業・部活動など日常が戻ってきました。休みから授業へOFFとONの切り替えはスムーズにいってますか?

3年生の中には、二松学舎の校内選抜選考、推薦入試説明会、総合型選抜受験に向けた自己推薦書の作成等いよいよ入試モードに移行する人も出てきました。共通テストを受験する人もそろそろ出願準備ですね。夏の猛勉強の成果は秋から冬にかけて結果がでてきます。現役生は最後まで諦めずに努力を続けていきましょう。

さぁ、実りの秋。様々なことに挑戦し、自分を磨きステップアップしましょう。

【二松学舎祭 保護者のみ限定公開】
今年度の二松学舎祭は、在校生の保護者2名までに限って公開することとしました。新型コロナウイルスの感染者数は徐々に減少傾向にあるようですが、本校生徒・職員やご家族にも体調不良が報告されており、決して楽観できません。引き続き基本的な感染症対策をとり、安全を優先させて在校生・保護者の登校日・時間も限定し、二松学舎祭を実施することにします。クラスや部活動、生徒会等のプログラムを吟味の上、参加を決定してください。

既にクラスTシャツ等の準備に取り掛かる皆さんの姿も見られました。できないことを悔やむのではなく、今できる範囲で最高のパフォーマンスを発揮できるようにしましょう。「それいけ! 二松祭」!!

中学生にもぜひ学校の様子を見て欲しかったのですが、残念ながら今年度も非公開です。ただし、映像をオンデマンドで配信し、皆さんの取組を紹介しましょう。

【野球部への声援に御礼】
今夏の野球部の甲子園出場に際して、多くの方々にご声援ご支援をいただきました。本当にありがとうございました。個人的には校長に着任した年に甲子園応援に参加できたのは、ただただ感謝の言葉しかありません。

先日(9月1日)、地元の千代田区にお礼の挨拶に伺いました。直接、区長が面会してくださり、「テレビを通してでしたが、地元の二松学舎高校を応援してました。大阪桐蔭を相手によく頑張りましたね」との声掛けをいただきました。

大会が始まる前にも声援のお願いをするため、学校を代表してご挨拶に行ったところ、教育長はじめ副区長、部長、課長の皆様から熱い激励を受けました。大会中は千代田区のフェースブックやツイッターでも応援のメッセージを掲載していただきました。地元の学校の二松学舎を応援したいとの千代田区の応援に感謝です。

9月1日(木)その1ー『校長だより』第20号ー

【2学期始業式を迎えて】

2学期始業式で生徒の皆さんに話した原稿をアップします。あらためて、この紙面で確認してください。

おはようございます。 九段下の駅から階段を登って、お堀端にでるとシャワーのように蝉の鳴き声がしていた夏。昨日(8月31日)幾分その声が少なく感じました。季節が夏から秋へと移っていくことを音で感じました。

いよいよ2学期が始まります。休み中は大きな事故もなく、元気で今日を迎えることができたことに感謝しています。今年の夏は3年ぶりにコロナによる行動制限がありませんでしたが、予定していた収穫がありましたか? 特に3年生は受験等に向けて特別な夏だったことでしょう。1・2年生も夏期講習、野球応援、短期留学、勉強合宿など充実した夏を過ごしたことと思います。また、先ほど表彰を受けたダンス部、野球部など成果をあげられたことに祝福と讃辞を贈りたいと思います。

1学期の終業式は、一つの節目として4月からの自分自身を振り返り、夏休みを更に成長につなげる時間にして欲しい。そして振り返るときに、「できなかったこと」「だめだったこと」といったマイナスのイメージだけではなく、「できるようになったこと」「成長したこと」にも目を向けながら、次のステップ・アップの目標をしっかりと立てて、取り組んで欲しいと話しました。いかがですか。自分なりの成果を確認し、夏を有意義に過ごし、2学期以降の新たな目標を立てられましたか?

新型コロナウイルスはピークを過ぎたとの報道もありますが、依然として、警戒すべき状況であることに間違いありません。2学期は、文化祭や2年生の修学旅行、球技大会などの行事があります。感染リスクを最小限に抑え、上手にコロナと付き合っていく。withコロナの姿勢をもっていくことが必要です。その上で、皆さんには、授業はもとより積極的な活動を期待しています。

特に9月に予定している二松学舎祭はどのような形で実施をするのか、慎重に検討しています。今できる準備をしっかりしておくようにしてください。1学期から実行委員会が準備してきたことを生かせるようなものに、そして参加するすべての生徒・保護者、さらに中学生等の外部の方も楽しめ、喜んでいただける文化祭になるように工夫できれば良いと考えています。

さて、今日は防災の日です。「天災は忘れたころにやってくる。」という戒めの言葉がありますが、これは二松学舎に学んだ夏目漱石の教え子で科学者の寺田寅彦が防災の必要性を説くのに使った言葉です。

防災の日は、関東大震災が起きた日を忘れないように制定されました。1923年9月に発生しましたから来年ちょうど100年となります。

私の記憶に残る大地震では、阪神・淡路大震災が起きたのが1995年1月、今から27年前の早朝に起きた震災で、神戸に住む親戚が被害を受けました。高速道路が倒壊した映像を思い浮かべる人もいるかもしれませんが、これは皆さんが生まれる以前の話ですね。東日本大震災は2011年3月、11年前ですから記憶もあるでしょう。当時、私は新宿都庁に勤務していましたが、29階の高層階で激しく揺れました。窓からはお台場で火事が発生しているのが見え、その後、東北各地の大津波の映像が飛び込んできました。翌朝まで都庁に待機し、対応に追われたことを鮮明に覚えています。

でも、喉元過ぎれば熱さを忘れてしまいがち。

私たちの生活で怖いものの順に「地震・雷・火事・おやじ」というのを聞いたことがあるでしょう。雷は屋内にいれば避けることができることができます。火事は多くが失火によるもの。しかし。地震は私たちが努力しても避ける方法はありません。いつ起きるのか、どの程度の規模なのか予測不能です。近年は予知観測が進んでいて、緊急地震速報が発令されることもありますが、いざアラートが鳴っても地震まではほんの数秒しかありません。したがって取りうる対策は机の下にもぐる位で、高が知れています。でも、この身の安全を守ることが最優先の行動で大切だそうです。

火山帯に位置する日本では地震は避けられないと言うことは間違いないのです。

私の好きなテレビ番組の一つに「ブラタモリ」と言う番組があります。日本各地の地質や断層などを探る番組ですが、先日の放送で鹿児島県の桜島を取り上げていましたが、ロケ後に桜島の噴火があり、避難レベル5で島民が一斉避難したというニュースがありました。この番組は以前にも熊本城を取り上げた後、熊本地震でお城の石垣が倒壊するという被害が出たことがあります。火山大国・地震大国NIPPONを再認識させられる内容でした。

では、実際に関東地方で地震はいつ起きるのでしょうか。 地震の周期からみると東京都を含む南関東でマグニチュード7クラスの地震が起きる確率は、今後30年以内で70%と予想されています。発生時期や時間帯にもよりますが、首都直下地震における死者数は最大23,000人に上るとの予測です(阪神6,400人・東日本18,000人)。

想像してください。被害の状況を。発災直後は電気・ガス・上下水道・鉄道・道路・携帯の通信などライフラインが寸断され、大きな被害をもたらすでしょう。火災や津波、土砂崩れなど複合災害の発生も予測されます。都心はタワーマンションが林立し、エレベーターの閉じ込め、山手線外周部にドーナツ状に広がる木造住宅が密集する地域の火災も危険です。帰宅困難者もまた増えるでしょう。さらに、地震による河川の堤防が崩れて、住宅地が水没するリスクが発生します。「海抜ゼロメートル地帯」と呼ばれている荒川下流域は洪水の被害に襲われる可能性が高いと指摘されています。主に江戸川区・江東区・墨田区・葛飾区・足立区が大半を占めている地域で、本校生徒の約4割はこの地域から通っています。

「備えあれば憂いなし」と言います。 国や東京都が地震に対するハザードマップ等を作成し、避難対応を促していますが、最終的に自分を守るのは自分です。何事によらず、普段から安全のために、いざという時にどうしたらよいのかを考えておくことが大切です。少なくとも年に一度は、緊急避難場所や連絡方法、非常備蓄の準備などをご家族で確認してみてください。

学校の施設や設備にも危険や不安と思われるところがあったら教えてください。

では、2学期を安全で充実した生活にしましょう。